故 有川定輝 法政大学永世名誉師範


克己随神(こっきずいしん)

随神というのは、惟神(かんながら)に従うこと。そのためには、克己がなければ難しい。克己とは、そのものになり切ってしまうこと、稽古なら稽古になり切ってしまう、道になり切ることだと思います。道の心を汲み取って、自分との関わりを感じていくという意味です。

 

術理が分かれば、それは真実だから、ごまかしじゃない、嘘じゃない。稽古を厳しくやることによって、勘が鋭くなって、技のさえになってくる。そして、術理の奥には心があるんですね。稽古(いにしえをかんがえる)だからね。

稽古によって、先人と繋がってくるわけです。開祖と繋がってくる。それが結局、道となって繋がってくる、道にとは合気道の精神的意義に裏付けされる道に繋がってくるということですね。

そのためには、技を深めていく稽古をしないといけない。稽古をもっと厳しくやらないといけない。

厳しくというのは、ごまかしのないことです。